法律や条例、規則で決めら数十年も変わらないルールに従って事務手続きを行う。
ところが、手続きの過程において、法律や条例といったルールを所管する行政が”その名”のもとに、手続き上、必然的に弱い立場の者に対し、過度な指導や意味の無い意見を言ったり、本質や趣旨を捉えられない行政を目の当たりにしたことがあるのではないでしょうか。
全ての行政がそうでは無いですが、不条理かつ合理性に欠ける一方的なルールを押し付けられた経験は誰もがあるはずです。
以前、都市計画法第19条第3・4項の規定の問題点を記事にしました。
この記事では、都道府県による市町村に対する『協議や同意』という名の広域合併が進み都市圏が拡大した中でのあまり意味の無さない時間だけを要する手続きについて説明しました。
慣例や習慣に囚われ、”常識”や”あたり前”を疑わない限りは、ルールは刷新されることもないし、そのルールのもとに意味を無さない手続きが時間と労力を奪う行為だということを理解できない限り、社会のルールは変わりませんよね。
でも、この手続きは”なんで必要なのか?”という疑問を持ち、何故手続きが必要なのか、何が手続き上重要なのかを理解することで、誰でも”あたり前”を疑うことはできるんですよね。
社会において、論理的に正しく倫理的に間違っているとされるものは必ず時代の流れとともに変化します。
もし、今自分が取り組んでいる仕事や仕事上でのトラブルで、論理的に正しいのに倫理的に間違いとされていることがあれば、それは疑う価値があると思うのです。
そして、疑ったものが時を経て変わったとき、自分は間違っていなかったこと、世間はこうも簡単に常識が変わるのかと驚くはず。だからこそ、常識を疑えば、先んじたビジネスをすることもできる。
例えば、スマートフォンが普及するって10年前はほとんどの人が信じていなかったと思います。
というわたしもここまで普及するとは思っていなくて、贅沢品の一つくらいにしか考えていなった。けれども当時からブログを開設した方やアプリ開発を進めてきた方は、その後のスマートフォンの爆発的な普及により稼げたはずです。
役所の事務手続きの話と少しズレてしまいましたけど、本質は同じで、常識やあたり前を”疑う”ことがアフターコロナ後の時代でも生きていける人や企業なのではないでしょう。
参考書籍