こんにちは。YAMAKEN(やまけん)です!!
早速ですが、みなさん、「内村鑑三」は知っていますか?
高校あたりの歴史の授業で習ったはずです。
知らない人も、これを機会に覚えておいて悪いことはないです。
そして、この「内村鑑三」が残した「後世への最大遺物」を知っていますか。
内村鑑三は、33歳のときに「後世への最大遺物」としてまとめられることとなった講演を行なっているんです。たった、33歳ですよ。すごいなぁーと思います。
肝心の内容ですが、彼は、この「後世への最大遺物」において、「金銭、事業、思想・・・」、そして「勇ましい高尚なる生涯」について、一つ一つ解説しながら、その言葉を講演に来てくれた人に向けて、丁寧に伝えていくということを行なっています。
「勇ましい高尚なる生涯」の解釈については、その名の通りの意味に取られそうですが、その解に至る経緯や二宮金次郎の功績を引用して解説しているところなどを踏まえると、読む人によって解釈は違うのかなぁと思います。
また、この講演を行なったときの内村鑑三が置かれていた状況を考慮しながら読んでみる(聴いてみる)と違った感想になるかもしれません。
いずれにしても、本を読んだ人にしか分からない感想といったところでしょうか。
「後世への最大遺物」は、内村鑑三が明治27年(1894年)の夏に、箱根で開催したキリスト教青年会第6回夏期学校での講演の内容が記述されています。
語り口調のため、とても読みすく、彼の考えや思いが伝わります。
また、文庫本でも1㎝も無いほどの厚みなので、短時間で読むことができまし、哲学的に読むことができる内容なので、”誰でも”読めます。
「勇ましい高尚なる生涯」という言葉だけが有名ですが、この「勇ましい高尚なる生涯」という考えに至るまでの公演の中で、彼は次のように言っています。
ここが、彼の本質が分かる内容です。
そして、私には『都市づくり』を行う上では必要なことだと思うのです。
「私に50年の命をくれたこの美しい地球、この美しい国、この楽しい社会、このわれわれを育ててくれた山、河、これらに私に何も遺さずには死んでしまいたくない、との希望が起こってくる。ドウゾ私は死んでからただに天国に往くばかりなく、私はここに一つの何かを残して往きたい。それで何も必ずしも後世の人が私を褒めたってくれいというのではない、私の名誉を遺したいというのではない、ただ私がドレほどこの地球を愛し、ドレだけこの世界を愛し、ドレだけ私の同胞を思ったかという記念物をこの世に置いて往きたいのである。」
※引用:内村鑑三「後世への最大遺物」
そう、『愛』です。
愛があることで、人は自分たちが住んでいる「都市」が少しでも良い方向に向かうように、様々な人にとって暮らしやすい、多様性を認める都市になれるよう最大限に努力して、後世に素晴らしい『都市』を遺していきたいと思考すると私は思います。
ですので、都市づくりには『愛』の要素が不可欠なんです!笑 ^^;
自分の住んでいる『都市』に魅力がないからといって、批判だけするのは、全く持って筋違です。
必要なことは、都市の魅力をつくり出そうとする姿勢・努力が大切なんです。
簡単にいうと、自分の子供や孫、玄孫の世代が、後世に残したいと思える『都市』をつくっていくことが重要だということです。
別に子供がいなくたっていいんです。
自分の功績(これは自己基準でいい)を後世に残せるよう努力することが大切だということ。
それは、価値観の違いや、人それぞれの思いの違いによって、何が一番正しいことなのか、正解はなんなのか、長期に渡って進めていく都市づくりにおいては、数十年、数百年経ってみないと分からないかもしれません、しかし、一人一人が正しいと思ったことを最大限に努力していくことで、少しずつ『都市』という複雑難解な方程式の上に成り立つ素晴らしい都市は、最適な解に辿り着いていくんだろうと私は考えています。
だから、都市づくりに携わる人は、『愛』の気持ちが重要なんだなと思うんです。
様々な立場で苦境に立たされている人にとって暮らしやすい都市の実現が都市をこれからも持続可能に成長させていくんだろうと・・・
ただ、私は具体的にどういったことをしていくことが良いのか考えに及んでいません・・・
とても抽象的な表現ばかりで「??」となった方、すみません。
でも、近代の哲学書、主に明治時代のものは、日本が成長しようとして苦労していた時代なので、とても、参考になることが多いです。
まずは、『内村鑑三』から読んでみてはどうでしょうか。
宗教的でも哲学的でもなく、ただ、単純に、『内村鑑三』が残した著書を引用して、都市計画にづくりに大切だと思うことを記事にしてみました。
最後まで読んで頂きありがとうございました!