ボランティアのモヤモヤを解消して、まちづくりの本質に気づく。

ボランティア活動にモヤモヤしたり、違和感を抱く

建設業や地域に根差した経営をされている方であれば、一度はボランティア活動に従事することがあるでしょう。その際に、『ボランティアとは何か?』この本質を考えたことがあるでしょうか。

この記事は、この本質について考えるキッカケになって欲しいと思い書いています。

まちづくり団体に所属する方には読んで欲しいなと思います。

 

それでは短い時間ですがゆっくりご覧ください。

▽参考図書

 




ボランティアとは

ボランティアとは、

一般的には「自発的な意志に基づき他人や社会に貢献する行為」とされています。
*出典:厚生労働省

また、ボランティア活動の性格として、

  1. ・自主性(主体性)
  2. ・社会性(連帯性)
  3. ・無償性(無給性)

があげられます。

 

つまり無償の愛による社会貢献のことです。

 

ボランティアは、無償性(時間という投資とそれに対して金という形で見返りがない)であることと、自発性が求められるわけです。また、社会的に正しい行いである必要がある。

 

ボランティアでまちづくり活動をされている方がいますが、大きくは次の4種類の型にはめることができます。

  1. 将来、団体の上役職につくことで得られる他者からの評価を得たいケース
  2. 企業として地域との関係を良好に保つためにやむを得ないケース
  3. 純粋に他者へ貢献したいケース
  4. 自己要求を満たすためのケース

 

 

どれか一つに当てはまるというよりは、いずれも重複すると思われます。

『無償』は金が発生させてはいないだけで、金と同等、それ以上を得ていると考えることができます。

 

ここで私の持論ですが、『金』を発生させないことが日本において美徳とされるボランティアですが、『金』が発生しない場合、いずれ消耗してボランティア活動を辞めることになります。

消耗せずにやり続けることができるのは、消耗以上に得られるメリットが自分にとって大きい場合です。

 

これが当てはまる人は現代社会においては少ないと考えられます。
ある程度想像がつくと思いますが、一般的な日常生活に必要とされる所得以上を得られており、なおかつ時間がある人が、ボランティアを長時間行っても消耗が少ないと思います。

なので、必ず社会貢献は無償である必要はないと考えられと思います。有償の場合でも有益な社会貢献もあります。というか、有償のケースの方が質の高い支援をすることが可能なケースがありますよね。

 

本心からの純粋な動機によるボランティアは、無償による自主的な行動によって成立するものと考えるのが一般的です。そしたら、なるべくなら、多くの人はボランティアはやりたくない!と思うのが心情です。

とはいえ、ボランティアをやってみないと得られない体験もありますから、まずは体験してみることも大切かなと思います。

 

なんで、ボランティアに疑問を持つの?

疑問を持つ理由は、無償であることと、多くの世の出回っているボランティアは自主性が損なわれているからです。

 

社長が社員に対して、『悪いけど、今度の日曜日ボランティア活動に参加してくれない?』

よくある話ですよね。

 

事業内容を聞いて、本人が『手伝ってあげたいなー』と言う思いや、ボランティアの価値に気づけばそれでいいんです。

ですが、多くの人は、ボランティアしたい!と思わないで仕方なく参加する時点で、ボランティアではなく、ただの無償業務となっているんです。

 

つまり、 無償業務=ボランティア となっているので疑問や違和感を感じるんです。

無償業務はボランティアではなく、「収益を発生させない業務」です。

 

他にも町内会での草刈りなどもそれです。基本的に無償業務です。
だって、子どもとの時間を確保したいと思ったり、日曜日の朝はゆっくり寝ていたいと思うんじゃないでしょうか?コミュニティをつくるためという考えもありますが、『草刈りやったらコミュニティがつくられるという考えが謎』です。

そんなことよりも、地域の事を考えるサイトをつくったり、SNSで地域の情報を発信したりすることの方が、地域のことを考えるキッカケになってコミュニティ形成に一定の効果があると思います。草刈りは地元で集金して地元企業に委託するのが最も地域に金が循環します。

また、マラソンやイベントなどは、ボランティアスタッフを募って運営している事が多いですよね。

 

ここでも違和感を感じてしまうのが、自主性を損なうことが形骸化しているからです。

ボランティアに頼らないと運営できない時点で事業として破綻しています。

 

事業として成り立っているスキームの上で、自主的な社会奉仕を学びたい・やりたいと言う人を募ればいいんです。それによって得られる貴重な体験が大きな報酬となる場合もありますから、強制的なボランティア全てが悪いとは言いませんけど、ボランティアに感じる違和感はここから来ているものだと思います。

 

ボランティアと経済を事業スキームの中に同じ括りとして取り扱うからめちゃくちゃ違和感を感じるんです。

 

多くの人はボランティアを行う時間を確保するのは難しい。

近年GDPが大きく伸びていない日本において、時間はとてもとても貴重です。

 

余裕ができた時間を勉強に投資した方が所得の改善に貢献しやすいですから、少しでも暮らしを良くしたいと必至に生きている方にとっては『ボランティアしよう』という気持ちになるのは難しい話です。

 

これは個人が悪いと言うよりは、社会システムそのものが悪い場合もありますよね。GDPが伸びていない=つまり国人の所得が増えていないわけですから、少なくとも金がないと、心に余裕を生じさるのは無理です。

 

やはり、自分が歩んで来た経験や体験の中で得られた自身に内在する心が、無償の社会貢献をしたいと強く思ったときや時間を金で購入できるくらい余裕がある方以外は厳しいです。

 

また、自らお金を払ってでもボランティアに参加したいと思うようなイベントになっていない事が問題なのかなと考える事もあります。

 

ボランティア不足と言う用語の問題点

ニュース等では災害がある度に『ボランティア不足』と言う言葉が使われます。

 

これは少し考えると違和感の論点が分かります。要は、ボランティアに不足も満足もないのです。

ボランティアは受けに行くものではなくて、ボランティアはするものです。

 

つまり、内在的な需要はあっても本質的な需要はないので、一方的な供給だけがボランティアの根本的な考えとなる考え方です。

 

だから、言葉がキツイかもですが、ボランティアに頼りたいと言っている時点で、無償業務をお願いします。と言っているようなものです。

 

他人が依頼する行為に自主性は発生しません。

ただし、ボランティアをやりたい人と非ボランティアとのマッチングは別な話ですよ。マッチングさせるのは、弱っていることを公言できない(しない人)とボランティアを結び付ける重要な取り組みだと思っています。

少し矛盾かつ一方的な解釈かもですが、ボランティアが成立するにはボランティアを行う側の一方的な愛(行動)が重要になってきます。

 

とはいえ、ボランティアに頼りたい気持ちはすごーく分かります。

だって、ボランティアに頼ればお金を使う必要がないからです。

こんなこと言うとボランティアに頼っているだけに怒られそうですが、仕方ないですよね。(ボランティアに頼らざるを得ない方については、福祉でカバーしてあげるしかありません。日本では、こうした方々に冷たいですが、そのような境遇にある以上、日本の憲法が保証しているんですから、税金で助けてあげましょう。)

 

ここまでくると分かりますが、ボランティアを行う人を増加させたいなら、教育や所得の増加など社会システム自体を変化させないと難しいと言う考えに行き着きます。

本記事のまとめ

ボランティアという行為自体に違和感を抱くようになったのは、ここ10年くらいかなと思います。社会が成長していないのに、自分だけ奉仕するのはおかしい。

 

ここ最近の傾向として、人の純粋な善意に頼ろうする考えが大きくなったような気がしますよね。悪いことではないし、徳を積もうとする人もいるから成立している状況だと思います。

 

けど社会を豊にしていかないと弱者は減らないし、弱者が弱者に奉仕するようになったら少し寂しいなと誰しもが思うようになると思います。

今後は、A Iがボランティアを補完するようになるでしょうから、これから5年先を注視していきましょう。

これを理解した上でまちづくりに取り組み、無償と有償を織り交ぜながら、地域の活性化や賑わいの創出といった行為に取り組むのがベストな選択かなと思います。

ボランティアに正解はないと考えるのが私の考えです。時代とともに変化するでしょう。
現代における閉塞感の中では他者への愛というのは向けにくくなっていると思いますが、少しづつでも行動していく方が正解や間違いに気づいていくんだと思います。まずはやってみよう。

今回の記事は以上となります。最後までご覧いただきありがとうございました。
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