このブログである特定の団体や個人を攻撃するつもりはないですけど、ちょっと目に余るなぁと思うので書いてます。この記事は、私の個人的な見解を書いているので、こんな考えもあるんだなくらいの温かい目でみてもらえれば幸いです。
残念だなーというか、悲しい気持ちになりました。
つい先日のことです。
市街地再開発事業をはじめとする公共事業について、いまだに『墓標』と言っている方がいるんですね。
今から10年くらい前なら国内経済が伸びない閉塞感から役所を痛烈に批判する風潮があったから、こうした表現も許されていた感じだったから分かるけど、今だに使っている人に出会うとなんとも言えない気持ちになります。(顔がひきつっている自分がいる。笑)
墓標って、”そこにお墓があるよという目印”ですよ。
市街地再開発事業が失敗して役所が税金を投入せざるを得なくなってしまう(つまり失敗)ことと、それをお墓に例えるのは、揶揄してふざけているのは分かるけど、お墓ってそんなに悪いものなのですかね。死んでいるんですよ。もう生き返ることはできないって言っているんですよ。
お墓って、大切な人達(故人)を偲ぶため、私達が手をあわせるところですよね。
それと市街地再開発に失敗した空虚の建物が同じって考え方が現代の倫理観にあってないですよ。その都市を誹謗・中傷していると同時に、そうした公共事業が成功することを信頼して納税した市民もバカにしていると思いますね。
もし、私がそうした墓標と揶揄された都市の市民であれば、悲しい気持ちになって、自分のまちに誇りを持てなくなってしまいます。それはそれでいいけど、一度失敗したら二度と名誉を回復することができない日本を象徴しているみたいでとても嫌な気持ちになります。
日本は表現の自由がありますから、どのように発信してもいいんだけど、なんだかな・・・誰かが傷つくのは悲しいです。
ちなみに私は市街地再開発事業については懐疑的です。特に三大都市圏を除く地方都市については、マンション事業になりつつありますし、新型コロナウイルスの影響もあって、リアル店舗の必要性は非常に低くなってますから、そうした店舗を含めた事業の成立性は困難を極めると思います。
そのような中でも事業を成立させるために税金を投入するんですから、ビジネスを成功させるためにあらゆる手を尽くすべきかなと思います。
がしかし、それを『墓標』として役所批判し、笑いものにするのはいいけど、その都市に住み、公共事業にまちの再生を託して納税した市民の気持ちが蔑ろになっていませんか。そんな気持ちとビジネスは別ものだと言われればそれまでなのは分かってはいるんですけどね。
ということで以上です。
いつもこのブログをご覧いただいてる皆様の意見も様々あると思いますが、私のような考えもあると知ってもらえただけでも幸いです。論理的ではなく感情で書いてしまったことをご了承ください。