こんにちは。やまけん(@yama_architect)です^ ^
最近、別事業が忙しくて更新が遅れてしまいました・・・いつもご覧になって頂いている皆様すみません。
YamakenBlogでは、建築基準や都市計画、宅建に関して仕事に役立つ豆意識を発信しています♪
今回は、わたしが近年感じている「境界」の違和感について思うところを書いています。
都市の境界を考えてたことありますか?
以前、こちらの記事(→「都市」の定義を分かりやすく解説。UrbanであってCityではない。)で、都市について書いた記事がありますので良かったらお読みくださいませ。
みなさん突然ですが、都道府県や市町村の境界についてどう思いますか?
- なぜ、都道府県の境界線があるんだと思いますか?
- 47都道府県必要でしょうか?
- 1718市町村も必要でしょうか?
結論、現代の境界線は不要の“モノ”だと考えています。
というのも、境界があることでメリットを感じているのは国や自治体のみですよね。
ちょっと200年前を想像してみてください。
現代の都市の基礎の多くは江戸時代に形成されています。
江戸時代は、約260年もの安定した時代の中で城下町・宿場町が発展してきました。
基本的に徒歩圏を元に形成されています。日常生活圏は歩いて暮らせる範囲にしか都市圏は広がっていません。もちろん馬や駕籠などありましたが、基本は徒歩圏の範囲で街は完結しています。
現代に目を向けてみるとどうでしょう。
現代は生活圏域が拡大
生活圏は地方では車が中心、首都圏などの大都市では鉄道やバスが中心になっており、徒歩圏をはるかに上回り、各都市の通勤・通学時間の平均を見れば、約30分~1時間圏内ではないかと思います。
それに近年は地方の田舎においても高速道路が構築されてきたので、10・20年前に比べても利便性の高い都市が形成されているはずです。
人ひとりが移動する距離が江戸時代に比べるとはるかに伸びたんですよね。
多くの方が、日常における移動が一つの市町村で収まっている市町村は少ないでしょうし、場合によっては都道府県を越境した生活圏が形成されている都市圏もあるはずです。
となると、現代の都道府県や市町村の境界は、過去の城下町等から派生した市町村単位の生活圏ベースではなくなっているはずです。
つまり、課題はここにあると思っています。
生活圏と行政区域が不一致
生活圏と行政が決めた区域が一致していない。
「生活圏」は広がっているのに行政サービスは一部で異なっており、同一の都市圏でありながら受けられるサービスに偏りがあるということ。
例えばですが、県境を跨いで日常生活圏が構成されている例です。
福島県新地町のデータをご覧ください。
福島県新地町は江戸時代は仙台藩領でしたが明治に入り福島県に編入されています。
また、新地町は都市計画区域上、隣接する相馬市と相馬市に隣接する南相馬市と相馬都市計画区域と同一になります。
調査項目 | 15歳以上就業者数【人】 |
---|---|
新地町に常住(従業地) | 3,922人 |
自市町村で従業 | 1,860人 |
他市区町村で従業 | 2,062人 |
うち宮城県内で従業 | 619人 |
上記のデータを見ていただくと、新地町に住んでいる方のうち15歳以上の従業者数は3,922人おり、そのうち他市町村に従業されている人が2,062人、このうち宮城県内で従業している人が619名いることになります。つまり、約3割(首都圏への通勤者が多い茨城県取手市に同じ)の方は日常的に県境を跨いでいることになります。
とはいえ、隣接する相馬市への通勤が多いのも事実としてありますので明確に都市計画区域を否定できるものではないですが、このように通勤上の移動事態を見ても仙台都市圏に寄っていると思います。これに飲食や買い物を含めると仙台都市圏へ依存度は大きいと考えられます。
仙台市大都市圏(住宅・土地統計調査)では、相馬市及び新地町は「周辺市町村(都市圏の一部)」に含まれています。周辺市町村とは、大都市圏の「中心市」への15歳以上通勤・通学者数の割合が該当市町村常住人口の1.5%以上あり、かつ、中心市と連接している市町村とされています。
また、首都圏整備法において規定される近郊整備地帯の自治体が多くが都内に通勤しています。
*茨城県取手市では、他市区町村で従業されている方が約3.2万人おり、このうち東京都内へは約1.2万人が通勤している。※平成22年国勢調査結果
話を戻します。
境界による弊害は、加えてサービスの非効率性をもたらしています。
例えば、車や鉄道による生活圏30分の範囲に中小の文化施設が複数設置されるよりも、複合化した大中小のそれぞれを備えた文化施設が一つ立地していた方が居住者によって利便性が向上するはずですし、行政運営上も効率化が図られます。
現代の生活圏と整合しない行政による境界線は、公共施設をはじめとする公共サービスの提供に非効率性をもたらしている可能性が十分にあるという点です。
しかしながら多くの都市で”我がまち”のことを中心に考えていて連携しているところは少ないのが現実だと思います。
また、新型コロナウイルスによる各都道府県の対応の違いを見てどう思いましたか?なんで住んでいる国は同じなのに、都道府県の首長や行政職員の考え一つで、居住している地域で対応が異なるケースをみて、ナゾ・違和感を感じた人も多いのではないでしょうか。
日本は中央集権と言いながらも各自治体の意見を尊重するところがある一方で、都市政策においては画一的な政策を進めてきた影響もあり、都市圏である日常生活圏と整合しない歪な行政組織(行政区域)が出来上がってしまったのではないかと思います。
川一つ越えるだけで生活水準が異なるのははるか数百年前の話で、今は橋渡ればなにも変わらない街並みが連続しているんです。
なのに、川一つ越えるだけ、道路一つ挟んだだけでこうも考え方が違う。
もちろんこのことによって、境界があるからこそ自治体間で競争の原理が働き、より良いまちをつくろうとする動きに発展したことはメリットであったのは確かですが、一方で行政が決めた境界があることで差別や偏見が生じているのも現実にはあります。
変わる時期に来ている
約100年近く変化していない都道府県の境界線や市町村単位の行政サービスを転換するときに来ていると思います。
行政サービスや経済的視点から考えれば、都市計画区域を基本に、通勤や通学、日常の買い物や医療といった日常生活圏を踏まえてより広域若しくは小域に境界を変えていく必要があるんじゃないかと思います。
現代に整合していない境界線で人生が変わってしまうなんてそんな時代じゃないと思う。
既得権にしがみ付くほど成長を促さないものはないですよね。今後は、圏域を柔軟に再編・再構築・最適化することで居住者目線のまちづくりが行われることを期待したいところです。
期待しても個人の行動のみでは小さいな動きしかできないので、わたしが出来ることは、皆さんにこうして当たり前だと思っていることに疑問や関心を抱いてもらうことにあるのかもしれません^ ^
ということで以上です。今日も素敵な1日をお過ごしください★彡