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【能力主義は正義か?】マイケル・サンデル氏の著書から考えるこれからの都市計画

この記事は、「実力も運のうち、能力主義は正義か?(The Tyranny of Merit.What’s Become of the Common Good?)著者:マイケル・サンデル」を読みまして、都市計画の観点から自由に書いています。

一部、読み難い部分があると思いますのでご了承くださいw

こんにちは。やまけん(@yama_architect)です^ ^
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建築基準法や都市計画法といった都市づくりに欠かせない法律は、複雑かつ難解なので理解に苦しみますよね。そのような方のために、法律を上手に活用してビジネスや生活に活用してもらいたいと思いつくったブログです。

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どこに生まれたのかで人生がほぼ決まる

都市計画」=「経済」です。これについては、これまでにも何度もお伝えしていることなのですが、経済を成長(GDP成長)させるためには、「都市計画」による都市のコントロールが必要となります。

都市計画とは、建築物の集合体である都市をコントロールし、農林漁業との調和、山林や河川などの自然保護を行いながら、核なる都市、その核につながる衛生都市を含む市街地を人口規模や土地の面積に合わせて最適な市街地に形成するです。

具体的には、市街化を促進する区域と市街化を抑制する区域に分けて、その他の様々な手法を投じて、都市の無秩序な発展を防ぎます。

とりわけ、人口減少が進む都市では、中心市街地などへのエッセンシャル施設を誘導していく都市計画。人口増加が進んでいる都市では、郊外への開発圧力を抑制していく規制型の都市計画が必要となります。

ということは、都市計画の手法選び(舵取り)一つで「都市」のレベルのようなものが決まります。

とはいえ、都市は短時間変化は生じず、どうしても時間軸が数十年スパンで動くため、超大型船のように舵切りしてもいきなり曲がることもできないし、場合によっては舵取りを誤って障壁にぶつかって沈没(撤退・消滅)する可能性だってあります。

あまりイメージしにくいのかもですが、都市計画においては人口密度が正義です。

人口密度が高いとあらゆる事業が成立しやすくなります。

例えば、商業施設の場合、周辺人口と周辺人口密度が売上に関係することになります。1k㎡以内に人口5,000と10,000では一人あたりの消費額が単純に倍となるため経済規模が異なるのは一目瞭然です。そのほかにも鉄道やバスの成立においても人口密度は重要で、一般的には沿線人口密度として60人/ha以上が採算性の指標とされます。

人口が集中すると、医療や商業、福祉、教育、文化、芸術といった面で、そうではない人口が散らばっている都市に比べて高度に発展・便利になることも分かっています。イメージとしては、人口密度が高いと成功・成立する機会が増加する(人のコミュニケーションが増加)。
※都内は過密過ぎます。適正密度は60人/ha〜100人/haくらいではと思います。

実際、人口密度が国内一の東京23区を見てもらればいいのですが、この成功の機会に溢れた「都市」を最大限に利用するため、地方出身の方は高校を卒業したら上京するわけです。

「東京で一旗上げる!」・・・古いかっ(笑)

そうなると、もともと東京で生まれた方は、地方出身に比べ成功機会の頻度的には恵まれるわけです。

つまり”どこで生まれたのかで人生がほぼ決まる”わけです。

能力主義は正義?

現在、日本は民主主義国家ですよね。完全なる能力主義国家です。

「頑張れば東京大学に行ける」、「努力すれば自分みたいに事業で成功できる」、「誰もが(成功した)自分みたいになれると思う」、みたいなセリフに溢れていると思います。

わたしも大した人じゃないのに、甥っ子に「私みたいに頑張れば建築士になれるよ」と言っちゃったりします(泣)

ところが、このセリフすら言われない人達(子ども)もいます。

わたしも地方出身者なので良く分かるのですが、親や兄弟、親族のスペック(大学を出ているのかどうか、事業で成功しているのかどうか、その他優れた技能があるのか)や偏った価値観、常識に支配された思考によって、子どもの生きる道がある程度決まってしまう状態にあると思います。

どういうことかと言うとですね、親を見て育つというように、”親がこう(例えば、高卒)だから”自分も高校を出て就職しようと考えてしまったり、周囲の友達も同じ環境の家庭が多ければそうした能力主義すら知らずに人生を決めてしまうこともありえるんですよね。

周囲の友達で、親や兄弟、親族に精神的に支配されている人いませんでした?(かわいそうですけど、これが日本の現実です。能力主義と言いながら完全なる努力至上主義ではないわけです)

努力が成功(日本の場合には安定した成功)への近道という誤った考えを持っているために、努力しても身に結ばなかった人達を社会不適合者のようなレッテルを貼ってしまう。(しかも、そうした発言をする人達自体が世間一般でいう成功者ではないことが9割以上)

著書では、教育機会を均等に与えることで、誰もが努力できる環境にあるんだから、誰もが成功する機会を得られているとする考えの過ちについて述べています。

このブログをお読みの皆さんもご存知のように、どんなに努力しても、みんなが優秀となり東京大学やハーバード大学に入学出来るわけもなく、オリンピックに出場できる位に身体機能が上達するわけでもないのです。

生まれ育った場所による周辺環境の影響も大きく受けるし、親からの遺伝子によって全く異なるわけです。

特に生まれた「都市」のスペックによって、成長過程で受ける教育機会や周辺環境の違い、友達の親の世帯収入、文化や芸術への力の入れ方、成功する機会に溢れた中心市街地の存在など、都市によるスペックの違いは、人生の大半を決めてしまう大きな要因ですよね。

地方都市で起きている能力主義者による差別

以上を踏まえると、地方都市は、半端な能力主義による井の中の蛙ちゃん、能力主義に折り合いをつけた人、能力主義すら知らない中で育った人によって、大きく階層が分断されているんだと思うのです。

・・・これってちょいヤバみだと思う(笑)

都内とは異なり、少なくとも中途半端に成功したと考えている人種(地方公務員や東証一部企業工場の社員など)によって、彼らは自覚のないまま、そうではない人種を無意識に差別していることに気づいていない。

わたしも地方公務員の経験があるので良く理解できます。市民のために仕事をしていましたが、それ以上に、属するコミュニティ(組織)の人達を売ることはできないです。例えば、ある公務員が仕事をしないし、収賄しているとしましょう。人事に訴えても人事は既に公になっていない限り握り潰します。

ヤンキーのダチをセンコーに売れないとの同じ考えです。

意識的に差別しているのではなく、属するコミュニティが優先されるからです。

実は、半端な能力主義(地域限定で成立した井の中の蛙ちゃん)が一番怖いのかも。ここまで成功(例えば、地方公務員になれたこと)したのは自分が努力したからという考え。

努力するのは大切ですし、何より努力して成功してきた人達がこの世界をつくってきている事実を否定してはいけないのですが、そうした成功してきた人達も努力出来る運と才能に恵まれたわけです。努力が大切ですし、わたしも努力してここまで到達はしているのですが、恵まれた運があったのも事実です(笑)

たぶんなんですけど、地方都市の山間部や都内で生まれていたら、こうした都市計画と建築による”まちづくり”の重要性を説明するようなブログもやっていないかったと思います。比較的、人口規模のある都市に生まれて、課題が多くあったからこその人生観です。

だからこそ「努力したから成功した」のみで片付けてならない。

とりわけ問題なのは、日本国内で見たときに東京大学に入った人達を崇拝するように、地方の中でも同様に学歴崇拝(つまり、域内の偏差値が高い高校・大学を崇拝)が生じていて、能力主義をより限定した域内に適用することによって、そうではない人達を差別する状態になっているのでは無いかと思います。

むしろ、そうした状態は生まれ育った「運」を理解していない状態にあると思います。

自分達が良い高校・大学に入れたのは、育った環境による運が大きく、運に恵まれなかった人達は努力する必要性を説かれずに育っている可能性もある事実を成功者(上級国民)は知る必要があるし、いわゆるマックジョブと言われるような誰もが出来る仕事をしている人(著書では下級国民)は、成功者は運によって成功する機会に恵まれたことを理解しないと、大きな分断が生じてしまうと思います(既に大きく分断が起きているよね・・・)

なんで、東京の人口が増えている理由は、マクロ的にみれば、地方の都市計画が有効に働いていないからなのかもです。よりミクロ的にみれば、富山のように多くチャレンジしている都市もあるのでしょうけどね。

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都市計画のよるアプローチ

はじめにお伝えしたように「都市計画」は「経済」と密接に関係します。都市計画一つで、医療、福祉、商業、教育、文化、芸術などいった面で、都市に住む居住者の都市活動の効率性を上げることが可能です。

誰もが、こうした優れた都市機能に触れる機会を多くつくるためには、ヒューマンスケールという人の活動範囲で都市計画にアプローチしていくことが大切だと思います。

例えば、人口密度の低い自家用車に依存した都市では、郊外に住宅を所有し、都市機能へのアクセス・移動は車です。車であることにより、アクセス地点までの外との接触は基本的にありません。つまり外部要因による刺激がないのです。一方で、車を利用しないと生活できないような居住場所ではなく、徒歩や自転車、公共交通のように人や建物を自分の歩くスピードや多くの人が乗車する乗り物を利用した場合、外部からの多くの刺激を受け、閃きや気づきを得る機会を多く得る可能が高くなる。

この差が人生に大きな違いを生むことが分かっているので、どのような場所で育ったかは、その後の人生に大きく影響すると思います。

これまで自家用車の急速な発達によって、地方都市の多くが車を前提とした生活になっていると思いますが、そうした状態から脱却することがこれからの都市計画には求められることなのかも。

「車を手放すのは無理・非現実的」と言っていて、車社会を放置していると、三大都市圏と地方との差がより一層悪化するとともに、地方都市においても日本の縮図のように中心部と郊外で分断が生じる可能性が高くなります。

都市構造を改変し、中心市街地への都市機能集積と居住誘導に投資する時期にあるだよん。これが結論です。

もちろん、どこにでもあるような建築物じゃなくて、都市ごとに異なる風土にあわせた建築物ができるようになれば少し社会は良い方向に行くと思う。


ということで以上です。わたし自身の考えなので、違うと思う方もいるはずです。もし、わたしの考えに共感してくれる方がいれば、シェアして頂ければ幸いです(´ω`)

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